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Pearls in the Shell

Pearls in the Shell

ママやり直し英語

 私と英語の出会いは大抵の人と同じく中学1年になった時でした。
 それまで英語はま~ったく何も知らなかったのですが、出会い方はラッキーだったと思います。
 そうとは知らずに入った中学が母国語式で英語を教えていたからです。
 しかしながらラッキー、と言えるのは今だからであって、その当時は英語の授業は苦痛でしかありませんでした。
 母国語式、といっても中学生ですから文法的な説明もされます。
文法用語も英語だし、身振り手振りで説明されて自分で多分こういうことだろう・・・って見当をつけて学んでいったような気がします。
 Be動詞と一般動詞の区別、Be動詞+ingで現在進行形を表す、という爽快感は今でもよく覚えています(笑)。
 が、中二になって現在完了が出てきたときにコケました。その表す時制感覚がなんのことやらさっぱりわからなくって。
 そこからは中学時代は英語が苦手でしょうがありませんでした。

 新しいことが出てきても、すぐさま答えてしまう友達、きっとDWEのようなもので英語に触れていたんだろうなぁ~って今は思います。
そのときは自分がちんぷんかんぷん過ぎて眠気と戦うのが大変(^_^メ)な英語の時間。
 が教科書がなく、英語での授業だけがすべてなので授業の内容がわからないと家で宿題をやろうにも
 問題しか書かれていないプリントだけではやりようがなく途方にくれることしばしば・・・。

   そんな3年を過ごした後、高1の夏休みに見た映画で英語が言葉であることに遅まきながら気付いて英語に対する意識が変わりました。
 兄の影響で洋楽に囲まれていた高校時代は英語にどっぷり浸かって過ごしました。
 FEN(現AFN)は基地周辺でしか聞くことができませんが、当時は短波放送もしていたので、自宅の屋根に登って短波用のアンテナをつけたりしてました。
 今のAFNと違って本国の名DJたちの放送をいろいろと聞くことができたFENは私にとってアメリカそのものでした。
 短波放送は雑多な電波がとびかう昼間よりも夜中の方がよく聞こえました。夜明けとともに遠のいていくDJの声。懐かしいなぁ。
 チャーリーツナやメアリーターナー、ケイシーケイサムのAmerican Top40、 ほとんど遠吠えしかわかりませんでしたが^^;Wolfman Jackなんかを聞いていました。
 単身赴任で東京にいる父にはAMで放送されているので録音して送ってもらったりしました。
 ただ父は早寝早起きな人なので聞きたい深夜の放送は全然録ってくれず、 ほとんどニュースばっかり。
 ニュースも悪くないですが、数日遅れのニュースなんてね^^;。

 洋楽の歌詞に出てくる単語は片っ端から覚え、映画をテープに落としてシナリオに起こしたりして遊んでいました。
 自分にとっては遊びに過ぎなかったのがよかったんでしょうね。自分の英語の核みたいなものは英語を聞きまくったこの時期に作られたのだと思います。
 何度も繰り返して聞くものだから、話してる人の出身地とその発音から、だんだんと話してるのを聞くとその人の出身地がだいたい分かるほどでした。
 そうやって大学に入ったときには成績順で分けたクラスで帰国子女たちのいるクラスに入りました。
 でも彼女達と私の英語力の差は歴然。話す訓練が足りなかったせいもあって思うように喋れないし(今でも^^;)、ちょっとした相槌なんかがうてない。
どうやっても英語は彼女達にはかなわない、と思った私は英語を使う仕事をしようなんてこれっぽちも思いませんでした。

 そして英語からほんとうにすっぱり離れてOL時代を過ごし、結婚して出産して・・・あ、また英語を勉強してみたいな、と思ったときには自分でも情けなくなるほど英語が抜けてしまっていました。
 今思えば100歳で亡くなった祖父がいつも言っていた、「学校を卒業してからも続けて10年は勉強しなさい(英語に限らず)、そうすればやっとモノになるから」
 という言葉をちゃんと実行すればよかったのですが・・・。


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